あの日のことを此処に残すのか、残さないのか、
とても迷いましたが、
思い返してみれば、あの日の出来事があったから、
ずっと先の未来の景色が大きく変わりました。
だからやはり、勇気を出して、此処に残しておこうと思います。
あれは、あるが小学校へと入学し、間も無くのことでした。
あるから突然に、お母さんと呼ばれた日がありました。
突然にお母さんと呼ばれて、戸惑ってしまった私は、
動揺を隠せず、思わず口にしてしまったのです。
あの一言で、あるは悟ったのだと思います。
私がお母さんと呼ばれることを望んではいないと。
あの日から、あるは、二度と私のことをお母さんと呼ぶことはなく、
家の中では、私をママと呼び、
外で私の話をする時には、
お母さんと、使い分けるようになりました。
私は、あるに気を遣わせて、
あるが見せてくれた成長を妨げてしまったのです。
私は、とても未熟な母親です。
あの日のことを、あるにどう話していいのか分からないままに、
時々考えては後悔しながらも、口に出せずにいたのは、
「お母さん」と呼ばれることに、強い抵抗があったからなのかも知れません。
私はずっと、あるの「ママ」でいたかったのだと思います。
それなのに、
あるから自分の望んだように呼ばれ続けながらも、
あの日のことは、決して消えない後悔となり、私の胸の中に止まり続けました。
大きな後悔を残したあの日のことを思い返せば、
今でもほんの少しだけ胸の奥が痛みますが、
あの日があったから、後の私は大きく学ぶことが出来ました。
そして、あの日のことは必然であったとも取れるような未来がやってきたのです。
それに気付くのは、此処からずっとずっと先のこと。
子育てをする中で、
時には大きな後悔を残すようなこともあるのかも知れません。
ですが、そこには必ず、
後に分かる大きな意味が隠れているとも言えるのかも知れませんね。