あれ?
いつからあると手を繋がなくなったのだろう。
こんなふうに気が付いたのは、
あるが小学校へ上がってから、暫くが経ってからのことでした。
気が付けば、
あると並んで歩きながらも、
小さな手を差し出されることもなければ、
私もまた無意識に、
その小さな手を取ることをしなくなっていました。
手を繋いで歩くほど、自分はもう幼くはないのだと、
あるは、自分から、
手を繋いで歩くことを卒業していったのだと思います。
そして、あの頃の私はきっと無意識に、
そんなあるの心の成長を感じ取り、
自分から手を差し出すことを卒業していたのだと思います。
ほんの少し前までは、
当たり前に差し出されていた小さな手は、
もう私の手の中にはありません。
大きくなったんだね。
その成長に喜びながらも、
当たり前に繋いでいた小さな手の温もりを思い出し、
ほんの少しの寂しさを見つけた日がありました。
少し前までは当たり前だったことも、ある日突然に終わりを迎え、
それに気が付いた時に、
初めて、ほんの少しの寂さを見つけるのもまた、
子育てなのかも知れません。